行政書士の仕事には幅広いものがあります。許認可や遺言、相続の手続きなどが本流ではありますが、その中には「家系図をつくる」などというお仕事も含まれます。
今回は、「自分自身のご先祖様を遡れるところまで遡ってみよう!」と思い立ち、実際に一人の子孫として役所に足を運んでみたお話をお届けします。
皆さんは、「もうすぐ明治時代の戸籍が見られなくなる(取得できなくなる)可能性がある」という話を耳にしたことはありませんか? 「えっ、それって本当?」と思われるかもしれませんが、これには実務的・法律的な背景となる2つの大きな理由があります。
⚠️ 明治の戸籍が手に入らなくなる背景
明治時代の戸籍は現在も取得できる自治体が多いものの、保存期間の満了や過去の廃棄などにより、今後は取得できなくなるケースが増える可能性があります。
- ① 法律で閲覧・取得が制限されている戸籍の存在(壬申戸籍) 日本初の全国的な戸籍である「壬申戸籍(じんしんこせき/明治5年式戸籍)」には、現在では身分差別につながるような表現や記載が含まれているため、現在は法務局等で厳重に管理されており、原則として取得ができません。そのため、私たちが現在調査で遡れる最も古いフォーマットは、一般的にはその次に作られた「明治19年式戸籍」以降となることが多いです。
- ② 保存期間の満了による廃棄・消失のリスク 明治や大正時代に作られた古い戸籍(除籍や改製原戸籍)は、法律で定められた保存期間が経過すると、役所の判断で順次廃棄処分される仕組みになっています。現在は保存期間が150年に延長されていますが、過去には80年とされていた時期もあり、その間に廃棄された戸籍も存在します。また、戦災や火災、震災などで物理的に消失してしまっている地域も少なくないようです。
「すべての自治体がすでに廃棄した」というわけではなく、市町村によっては現在も大切に保管されていて取得できるケースも多くあります。しかし、時間が経てば経つほどそのリスクは上がっていくため、ご先祖様の調査は「早めの対応が大切」な世界といえます。
💡 広域交付制度を使って役所へ!気になる実費は?
いつかやってみようくらいに思って、そのうちそのうち。。。と月日が経過していましたが、「手遅れになる前に!」と思い立ち、さっそく町役場の窓口へお願いしに行きました。
何代にもわたる古い書類を、過去の本籍地を辿りながらパズルのように繋ぎ合わせていく作業。役所の担当者の方も、何通もの古い除籍を引っ張り出すのは大変だったと思います。この場を借りて心から感謝いたします。ありがとうございます!
ちなみに、今は便利な「広域交付制度」がスタートしているため、原則として、現在の本籍地や住所地近くの市区町村窓口から広域交付制度を利用して請求できます。
戸籍の取得理由に「家系図作り」とかいうのも、少し気恥ずかしい感じがするかもしれません。
私の場合は本籍地の移転回数も多く、取得した戸籍の通数が非常に多かったため、手数料の合計はリアルに17,000円ほどになりました! これだけのボリュームが地元の窓口一箇所で揃うのですから、本当に便利な制度だと実感します。
😲 窓口で思わずフリーズしてしまった理由
さて、役所の窓口でドキドキしながら書類を受け取り、中身をさっそく眺めてみたのですが……。
「え? 慶応?、ん?安政? 天保? ……えっ、文政!?」
頭の中が一瞬で混乱しました。
それって歴史の教科書に出てくる「安政の大獄」ですか!?
「天保の大飢饉」・「天保の改革」ですか!? ペリー来航っていつだっけ!? と、軽いパニック状態で、「何かの間違いじゃないか」と二度見しました(笑)。
安政といえば、大老・井伊直弼による「日米修好通商条約の調印」から、激しい弾圧が吹き荒れた「安政の大獄」へと続き、横浜・長崎・函館の開港を経て、最後は「桜田門外の変」へと激動していく、まさに幕末ど真ん中の時代です。そんな時代の文字が、自分の家族の書類に印刷されているのですから、フリーズするのも無理はありません。
【参考・出典】
- 国立公文書館デジタル展示:激動幕末 -開国の衝撃-(年表)
次に見る人を混乱させるのが、以下のような記載の並びです。
- 母:(天保11年5月28日生)
- 妻:(安政3年3月2日生)
- 長男:(明治12年7月21日生)
これだけをパッと見ると、「えっ? 天保11年生まれの親から、安政3年生まれの『お母さん』が生まれたの…? にしては、その次の長男が生まれるまで妙に年が離れていない…?」と、タイムスリップしたような錯覚に陥ってしまいます。
一瞬戸惑う、この「古い戸籍の謎」。実は、自分で戸籍を読み始めると、多くの人が最初に混乱するポイントでもあります。
🔎 戸籍は「縦の家系図」ではないという落とし穴
なぜこんな一見不思議な年齢差の人物が並んでいるのかというと、古い戸籍に書かれている続柄は、基本的にすべて「戸主(その当時の家のリーダー)」から見た関係で書かれているからです。ここでは戸主を・穴澤 幸政(ユキマサ)としてみます。
この戸籍の全体を俯瞰してじっくり紐解いていくと、この家の一番右端に書かれていた中心人物、つまり当時の「戸主・ユキマサ」は(安政3年〔1856年〕5月19日生)の方でした。
つまり、戸主を中心に置き直すと、すべての謎が美しく解けます。
- 母 = 戸主ユキマサの「実のお母さん」(天保11年〔1840年〕生まれ)
- 妻 = 戸主ユキマサの「奥さん(同い年夫婦)」(安政3年〔1856年〕生まれ)
- 長男 = 戸主ユキマサと妻の間に生まれた「長男」(明治12年〔1879年〕生まれ)
「母」と「妻」が並んで書かれているので一瞬親子のように錯覚してしまいますが、「私(戸主)から見たお母さんと、私の奥さん」だと分かれば、「なるほど、同い年の夫婦が23歳のときに長男が生まれたんだな」と、当時の家族の等身大の暮らしぶりが見えてきます。
さらに読み進めると、なんと「文政2年(1819年)」生まれのご先祖様の名前まで登場しました。文政2年といえば、あの伊能忠敬が日本地図を完成させた直後。まさに江戸時代真っ只中です。
幕末から明治という大きな時代の転換期を生き、命のリレーを繋いでくれたご先祖様が確かにいたんだ思うと、なんだか胸が熱くなりました。
こうして戸籍の仕組みが分かり、等身大のご先祖様の暮らしが見えてきて大満足していた私ですが……実は、ここから見える物語はこれだけではありませんでした。
届いた束の戸籍を眺めていたとき、140年前の家族が起こした大パニック、そして日本の歴史ともシンクロする、とんでもないドラマがあったことに気づくのです。
(次回、激動の歴史ロマン編へ続く!)


