📜 辿り着いた最古の1枚:明治26年という歴史の境界線
前回の記事では、古い戸籍に書かれた謎を紐解きましたが、ここから見える物語はそれだけではありませんでした。
今回の調査で私の手元に届いた戸籍の束。その中に、法律上で取得できる最古のフォーマットである「明治19年式戸籍」がありました。 その端には、掠れた墨文字でこんな一筆が添えられていたのです。
「明治廿六年五月一日相続」
今から140年ほど前の明治26年に、前の戸主から家督(家のリーダーシップ)を相続したという、当時のリアルな歴史の記録です。
さらにその古い戸籍をじっくり読み進めていくうちに、私は次のような奇妙な一文を見つけました。
「旧家長ノ錯誤ニヨリ洩籍発見明治廿二年記載方上申許可ノ上編入」

一見すると難解な役所言葉ですが、意味をたどっていくと、おおよそ次のような驚きの経緯だったことがうかがえます。
🕵️♂️ 140年前の戸籍に残された"記載漏れ"の記録
現代風に言うなら、こういうことです。
「前の家長の手違いによって戸籍への記載漏れが判明し、明治22年に上申を行い、許可を受けて戸籍へ編入された」――そのような経緯を記録したものと考えられます。
戸籍の記載漏れや記録の整理に関する手続きが行われていたことが、このわずか一行からもうかがえます。
当時は現在のようなコンピュータもデータベースもなく、すべて紙の戸籍と人の手による管理でした。記録の確認や整理には、今とは比べものにならないほどの労力がかかったことでしょう。こうした短い追記からでも、当時の役所や家族が試行錯誤しながら戸籍を整えていった様子を想像すると、思わず「そんな出来事があったのか」と想像が膨らみます。
さらに驚いたのが、同じ戸籍にあった「年月ヲ知ルコト能ハサルニ付共其記載省略」という一文です。 現代語にすると、「生年月日が分からないため、その記載は省略する」というような意味。
今では考えられませんが、生年月日が確認できず、その記載を省略せざるを得ないケースもあったようです。戸籍そのものが、日本の近代制度が形作られていく過渡期を物語る、生々しい歴史資料なのだと実感させられます。
🕰️ 明治元年3月15日生まれの「奇跡のタイムライン」
そして、今回の調査で私が最も驚いたのが、ご先祖様の「明治元年3月15日生」という記載でした。
「あれ? 明治への改元って9月からじゃなかったっけ? 3月ならまだ慶応4年のはずでは……?」
実はこれには、当時の歴史的な背景があります。明治への改元は確かに1868年の9月に行われましたが、その際に新政府から「今年の1月1日にさかのぼって、当年をすべて明治元年とする」というルール(遡及改元)が発表されたためです。
そのため、歴史の本では「慶応4年3月」の出来事として扱われる時期でも、公式な戸籍では「明治元年3月」と記載されるという、面白いズレが生まれます。
しかし、驚くのは元号の仕組みだけではありませんでした。 歴史の教科書を開き、この「3月15日」という日付にタイムラインを重ね合わせたとき、私は言葉を失いました。

- 3月14日:明治天皇が近代日本の歩みを示した「五箇条の御誓文」を公表。さらに江戸では、勝海舟と西郷隆盛の会談によって江戸城無血開城が決定。
- 3月15日:我が家のご先祖様、誕生。
日本という国が大きく変わろうとしていた、その年に生まれたご先祖様でした。しかし、その年の秋、会津では戊辰戦争の戦火が広がります。戸籍を見返してみると、このご先祖様は戦争が始まった頃、生後まだ5か月ほどでした。当時23歳と20歳の若い夫婦が、生まれたばかりの子どもを抱え、激動の時代を生き抜いたことになります。
戸籍には「明治元年三月十五日生」という、わずか一行の記載しかありません。しかし、その一行の向こうには、歴史の教科書には載らない一つの家族の人生が確かにあったのだと思うと、自然と胸が熱くなり、感謝の気持ちが湧いてきます。
💼 行政書士として感じる、戸籍一通の重み
明治の戸籍はかなり達筆だったり崩し字だったりで、読み進めるのが困難なものも少なくありません。古い戸籍は少しパズルのようで、崩し字の解読や人間関係の整理に難しいところがあります。
相続手続きのための戸籍収集は、私たち行政書士の業務のひとつでもあります。普段の仕事でも戸籍を扱う機会は多くありますが、自分自身のルーツをこうして極限まで辿ってみたことで、その一通一通の書類に刻まれた「命の重み」を改めて肌で感じることができました。何代にもわたる戸籍を追いかけていると、それは単なる手続きのための書類というより、我が家の歴史が詰まった「一冊の歴史書」を読んでいるような、不思議な気分になります。
文政、天保、安政……歴史の教科書でしか知らないような時代に、実際のご先祖様が生きていた確かな証。今は激動の時代と言われますが、幕末から明治維新にかけてを生きた人々は、それ以上の大きな変化を経験したことでしょう。
お顔も分からず、名前と生没年しか存じ上げませんが、激動の時代を生き抜き、命を繋いでくれたご先祖の皆々様、本当にありがとうございました。
さて、ここまでご先祖様のお話をしてきたら、触れずにはいられない「もう一つの歴史」があります。
今回の戸籍調査でたどれたのは江戸時代後期までですが、私の姓である「穴澤」を調べていくと、さらにそのずっと先の歴史に行き当たります。
⚔️ 次回予告:知られざる「穴澤一族」の物語
よほどの歴史好きでないとまったく知らない名前。当の穴澤姓の親族ですら、私以外ほとんど知らない話なのですが(笑)、それは『奥州会津檜原軍物語』という軍記物に登場するお話です。
あの独眼竜・伊達政宗が、会津攻略の際、幾度となく苦戦を強いられた相手として「穴澤一族」が描かれています。軍記物ならではの脚色もあるとは思いますが、その勇猛な戦いぶりはとても興味深いものです。
もちろん、私自身がその武将たちの直系子孫であるかはまったくわからないのですが。ただ、同じ姓を持つ者として調べていくうちに、その話がとても面白く、いつしか強く興味を持つようになりました。
次回は少し寄り道をして、400年前の「穴澤」の名を持つ者たちの、知られざる歴史物語をご紹介したいと思います。どうぞお楽しみに!
【参考書籍】
- 小島一男 著『奥州会津 檜原軍物語』(歴史春秋社)
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