小さな古墳と神功皇后伝承をたどる休日

休日、近所をぶらりと散歩していて志免町にある亀山八幡宮へ立ち寄りました。

参拝を終え、境内の由緒書きを眺めていると、

仲哀天皇・神功皇后・応神天皇

という見慣れた名前が並んでいます。

福岡県では宇美八幡宮、香椎宮、筥崎宮など、あちらこちらでこの三柱のお名前を見かけます。

「どうしてこんなに同じ人物が登場するんだろう。」

そんな疑問から、少し歴史を調べてみました。


神話の舞台は、実は福岡だった

『日本書紀』によると、仲哀天皇は香椎宮で熊襲征伐を前に祭祀を行った際、神功皇后を通じて神々から

「西の海の向こうへ向かいなさい」

という神託を受けます。

しかし仲哀天皇は、

「山に登ってもそのような国は見えない。まず九州を平定する。」

として神託を信じなかったと伝えられ、その後まもなく崩御されたとされています。

その後、神功皇后が自ら軍を率いて海を渡り、朝鮮半島へ遠征したという伝承が残されています。

もちろん、現在ではこの遠征をそのまま史実とみるわけではありません。

しかし北部九州が古代日本と朝鮮半島を結ぶ重要な交流拠点だったことは、多くの考古学的資料から分かっています。

だからこそ、この地域には神功皇后伝承が数多く残されているのでしょう。


福岡の地名には伝承が今も息づいている

この伝承をたどると、福岡の地名が次々につながっていきます。

となりの宇美町にある宇美八幡宮は、神功皇后が応神天皇を出産した場所と伝えられています。

応神天皇は後に八幡神として全国で信仰されるようになりました。

また、へその緒を箱に納めて埋めたことから「筥崎」という地名になったという伝承も残されていますし

さらに、神功皇后が「背負い籠(しょうけ)」で皇子を背負って峠を越えたことが宇美町と飯塚を結ぶ峠道「ショウケ峠」の名前の由来になったという話もあります。

そして物語は宇佐八幡宮へと続いていきます。

こうして地図を眺めるだけでも、まるで一つの長編ドラマを歩いているような気分になります。


神話だけでは終わらない。本物の古代が残っていた

境内を歩いていると、小高い丘のような場所がありました。

そこは古墳でした。

古墳。みどりの草に覆われていて石棺がのぞいている

横穴式石室がそのまま保存されており、約1,500年前に築かれたと考えられています。

教科書の中だけだと思っていた古墳時代が、一気に現実味を帯びます。

さらに近くには石棺群の説明板もありました。

石棺の大きさは大人用・子ども用があり、すべての石棺からは赤い顔料である朱(辰砂)が見つかっています。

石棺群の説明碑文

また、石棺が寄り添うように並んでいることから、家族関係にあった人々が葬られていたのではないかと考えられているそうです。

神話や伝説の世界とは別に、こうした古墳や石棺は、古代の人々がこの地で暮らし、家族をつくり、亡くなった人を丁寧に弔っていたことを物語る確かな考古学資料です。

ちなみに、となりの宇美町にはそこそこ規模の大きい前方後円墳である光正寺古墳もあります。


身近な景色の中に眠る古代ロマン

普段何気なく歩いている神社。

すぐ近くの王子八幡宮

そこには神話があり、伝承があり、そして古墳や石棺という実際の遺跡があります。

王子八幡宮の由緒書き

歴史の教科書を読むのも面白いですが、自分の足で歩きながら古代の物語をたどると、その景色はまったく違って見えてきます。

神社に祀られているからといって、必ずしも神話上の神だけとは限りません。

太宰府天満宮には学問の神様として知られる菅原道真公が祀られています。乃木神社には日露戦争で活躍した乃木希典将軍、東郷神社には日本海海戦で知られる東郷平八郎元帥が祀られています。いずれも実在した人物です。

同じように、仲哀天皇や応神天皇も実在した可能性が高いと考える研究者は少なくありません。一方で、神功皇后については『日本書紀』などに登場する伝承上の人物として扱われることが多く、その事績をそのまますべて史実とみることはできませんが、私はかなり事実が含まれていて、だからこそ今に伝わる神社のご祭神としても各地にお名前が残っているのではないかと考えます。

亀山八幡宮の鳥居

だからこそ、北部九州を糟屋の町を歩く面白さがあります。

神話の舞台となった場所のすぐ近くに、古墳や石棺といった考古学的な遺跡が今も残っています。伝承だけでもなく、遺跡だけでもない。その両方が重なり合うことで、この地域の歴史がより立体的に感じられるのです。

福岡は「歴史の教科書に出てくる場所」ではなく、歴史そのものが町の中に息づいている場所なのだと、改めて感じた休日の散歩でした。

\ 最新情報をチェック /