「遺言書」なんて、自分にはまったく関係のない話だ。 ずっとそう思っていました。なにか大きな資産があるわけでもないし、自分が死んだ後のことなんて「残された人たちで、適当に仲良くやってよ(笑)」と、周りにも公言していたくらいです。
しかし数年前のある日、ふと万が一のときのことを現実的に考えてみて、「あ、これはちょっとマズイな……」と気づかされました。
もし明日、私が突然いなくなったらどうなるか。
単純に考えても、まず私の銀行口座は凍結されます。 そうなれば、残されたパートナーや子どもたちの当面の生活はどうなるのか。会社事務所の家賃や光熱費の引き落としは止まり、働いてくれている社員への給料も払えなくなります。塾の運営がストップすれば、今まさに受験を控えている生徒たちへの責任はどうなってしまうのか。
「あとは勝手にやって」なんて、あまりにも無責任だったなと反省しました。 小さな組織であれ、事業を営み、家族を持つ人間が何の備えもなしに逝ってしまうということは、残された大切な人たちに、手続きの重い負担やトラブルを一気に背負わせるということだったのです。
でも、なんだか遺言書なんて書いたら、縁起がわるそうで・・・なんて思ってしまうかもしれません。
私もそうでした。そんなもん書いたら、なんか明日にでもよくないことが起きそう!!みたいな気持ちにもなりますよね。
でも、逆でしたね。書き終えたときは、なにかちょっとした安心感を感じたのが事実です。
法律の書類に「思いやり」を吹き込む、最後のお手紙
そこで私は、遺言書を書くことに決めました。地元の法律事務所さんに相談し、最も確実な「公正証書方式」で作成したのです。

いざ遺言書を作るとなると、「誰に何を相続させるか」という、文字どおり事務的で冷たい法律用語が並ぶことになります。しかし、私がこの遺言書の中で、最も書いてよかったと感じているページがあります。
それが、「付言(ふげん)」と呼ばれる項目です。
付言とは、一言で言えば「遺言書の中に残せる、家族への最後のお手紙」のようなものです。
ここには、法律的な強制力(誰に何円分、といった縛り)はありません。その代わり、自分の言葉で「なぜこの分け方にしたのか」という理由や、これまでの感謝の気持ち、そして残された人たちへの願いを、何でも自由に書いておくことができます。
遺言書がないと、残された家族は「遺産分割協議」というシビアな話し合いをしなければならず、それが原因で仲の良かった家族にひびが入ってしまうことも少なくありません。だからこそ、自分の言葉で直接メッセージを残しておくことが、最大の「争い防止」になります。
私もこの付言の中に、「もしも財産的に何かしら残るものがあれば、みんなで仲良く分けてあげてください」という心からの願いを書き添えました。さらに、私が万が一のとき、私の代わりにこの遺言の内容を確実に実行してもらうためのサポーター(遺言執行者)も、しっかりと指定しておきました。
これによって、「もしもの時」のパニックや手続きの負担を防ぐだけでなく、家族が迷ったり揉めたりしないための「道標」を遺すことができたのです。
遺言書は、残される人のための「お守り」
自分自身が当事者として遺言書を書いたことで、私の遺言書に対するイメージはガラリと変わりました。
遺言書は、自分の死を暗く待つためのものではありません。 「いま、自分が関わっている大切な人たちの日常や事業を、自分が去った後も守り続けるための、温かい意思表示」なのです。
「うちの家族は仲が良いから大丈夫。家もあるから、私が死んでも妻はそのままそこに住み続けられる」
そう思っている方にこそ、大切なパートナーや子どもたちのために、この「お守り」の存在を知ってほしいと思います。実は、万が一のことがあったとき、残された奥様がそのまま住み続けられる……というわけではないのです。
次回は、その「住み続けられるわけではない理由」について、誰も悪くないのに起こってしまう法律の現実を交えて詳しくお話しします。
あわせて実務的なお話として、「自分で紙に書く遺言(自筆証書遺言)」と、「プロと作る遺言(公正証書遺言)」の決定的な違いについても分かりやすく解説します。
「万が一のとき、うちの家族や会社はどうなるんだろう……」と少しでも引っかかるところがあったなら、まずはこのブログを読みながら、ご自身の「もしも」を少しずつ整理してみてください。実際に遺言書を書いた一人の経営者として、リアルな目線でこれからも情報を発信し続けていきます。

