先日、4ヶ月ぶりに献血に行ってきました。

ご存じの方も多いと思いますが、献血には期間制限があって、一度行うと何ヶ月かは次の献血まで間を空けなければならないルールになっています。

400mL全献血の場合、男性は12週間後、女性は16週間後の同じ曜日からしかできません。年間上限も男性3回、女性2回と決まっています。

私の父は、この制限期間が明けると、まるでスケジュールが決まっているかのように毎度、献血へ向かう人でした。

その昔、父は工場での作業中に大きな怪我をして人差し指をなかほどから失い、またさらに別な事故で太ももに大怪我を負いました。昭和の高度経済成長期のこと。いまほど安全管理や労務管理がきっちりあるわけではなかった時代。そのような労働災害は珍しいものではありませんでした。

その際に、見ず知らずの誰かの血液によって命を救われたという経験があったのです。その時の強い恩返しの一心から、父は何度も何度も献血を重ね、家には赤十字からの表彰状も飾られていました。

子どもの頃はそんな父の姿を「ふーん」と眺めているだけでしたが、何年か前、ふとその光景を鮮明に思い出し、恥ずかしながら、 遅ればせながらも、私も父のバトンを引き継ぐ想いで、定期的に献血をするようになりました。

LOVEBLOOD

明日は献血するんだ!!と昨夜はビールも飲まず。水もなるべく多めに飲むよう意識して、早めに就寝。事前にスマートフォンのアプリ、ラブラッドから問診の記入を済ませ、会場のイオンモールに向かいました。

赤い十字の横にある「三日月」の正体

イオンモールの通路に置かれたブースの椅子に座ってぼーっと赤い十字のマークを眺めていたときのことです。 ふとスタッフさんのポロシャツに描かれたロゴマークを見ると、おなじみの赤十字(レッドクロス)のとなりに、赤く「三日月」のシンボルが並んで描かれているのが目に入りました。

画像引用:国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)公式紋章 - Wikimedia Commons

「三日月=イスラム圏の象徴」というのはなんとなく察しがついたので、この機会に少し調べてみました。

私たちがよく知る「白地に赤い十字」の赤十字マークですが、実は世界に目を向けると、トルコやエジプト、インドネシアといったイスラム圏の国々では、十字ではなく「赤い三日月(赤新月:せきしんげつ)」のマークが使われています。

現在、世界の宗教人口は主にキリスト教が約30%、イスラム教が約25%、ヒンドゥー教が約15%、仏教が約5%ほか、と言われています。つまり、世界人口の半分以上を占める2大宗教のアイデンティティが、この医療の最前線でも並んでいるわけです。

もともと赤十字の創設者(スイス人のアンリ・デュナン)は、自身の祖国であるスイスへの敬意を込めて、スイス国旗の色を反転させてこのマークを作りました。スイス国旗の白十字にはキリスト教的な起源がありますが、デュナンはあくまでスイスへの敬意と中立性の象徴として採用したのであり、特定の宗教を意図したものではありませんでした。

しかし1870年代のバルカン半島での紛争の際、イスラム圏のオスマン帝国が「キリスト教を象徴する十字のマークは使えない」として拒絶しました。(イスラム世界では十字のマークが十字軍を連想させるとして嫌われていたことが背景にあると言われています)そこでオスマン帝国は、自国の国旗に描かれていた「三日月」を赤く塗ったマークを使用することを表明しました。これが「赤新月」の始まりです。なお、2005年には宗教的に中立な第3のマークとして「赤水晶(レッドクリスタル)」も公式に加わり、現在は3つのマークが国際的に認められています。

画像引用:第三の標章「赤水晶(レッド・クリスタル)」 - Wikimedia Commons

赤十字の歴史をもっと詳しく知りたい方はこちら: 日本赤十字社:赤十字の成り立ち・創設者アンリ・デュナン

ナイチンゲールが「赤十字」に大反対した理由

さらに興味深いのは、あの「白衣の天使」として有名なナイチンゲールは、この赤十字の取り組みに大反対していたという事実です。

彼女は決して悪意で反対したわけではありません。現場を誰よりも知る戦時医療のプロ(実務家)として、こう見抜いていたのです。

「戦場に便利な民間救護団体があれば、国が自前の医療体制を整える努力を怠るようになる。さらに、傷ついた兵士が救護されることで戦線に復帰できるようになれば、かえって戦争が長引き、犠牲者が増えるだけだ」

つまり、「良かれと思って作った仕組みが、国家の医療責任を弱め、同時に戦争そのものを長引かせる」という、二重の副作用を鋭く見抜いていたのです。

現場の最前線を生き抜いたプロだからこそ言える、冷徹なリアリズムでした。一見すると綺麗事に見えることの裏にも、立場による受け取られ方の違いや現実的な副作用が潜んでいる——そのことを、ナイチンゲールは鋭く見抜いていたのです。

もちろん、赤十字・赤新月社の活動が今日まで世界中で無数の命を救い続けてきたことは言うまでもありません。現在も世界の紛争地や最前線で活動を続けるICRC(赤十字国際委員会)の歩みを見ても、その功績は計り知れないものです。それでも歴史を知ると、物事には常に表と裏、いろんな視点があるのだなと深く考えさせられます。それでも歴史を知ると、物事には常に表と裏、いろんな視点があるのだなと深く考えさせられます。

繋がっていくもの……のはずが?

そんな歴史の表裏に思いを馳せつつも、やっぱり私の原点にあるのは、あの期間が明けるたびに黙って献血へ向かっていた父の背中。そして、家で見つけた誇らしげな表彰状の記憶です。何でもかんでも家族の写真に賞状やら卒業証書みたいなのが和室の長押(なげし)にごちゃごちゃ飾ってあるいかにもな昭和の風景(笑)

「誰かに命を救われたから、次は自分が誰かの命を繋ぐ」

父が私に遺してくれたこの温かいバトンを、これからも大切に守りながら、定期的に献血の椅子に座り続けようと思います。ちょっとした日常の雑談でしたが、皆さんも街頭で赤十字のマークを見かけた際は、その横にあるかもしれない「三日月」や、ナイチンゲールのリアルな視点に思いを馳せてみてくださいね。

……と、ここまで格好良く語っておきながら、私の今回の献血なのですが。 まったくお恥ずかしい話で、実は今回、ベッドにすらたどり着けずに見送りになってしまいました(笑)。

私、ずっと副鼻腔炎を完治させないまま放置していまして。普段は鼻水も何も症状はないのですが、飛行機に乗ると、降下の際に目の奥から頭が割れるほどの激痛に襲われるのです。これ、なぜか福岡へ着陸するときだけなんですよね……。羽田や伊丹では起きないのですが、降下率とかが違うんですかね。

なんなら、ちかごろニュースでも話題の「北九州市若松区の沖合に浮かぶ『白島国家石油備蓄基地』あたりを飛んでいる時点で、すでに頭が痛くなり始めます。(私の副鼻腔センサー、正確すぎやしませんか……笑)

それを根絶レベルまで治療しようと先々月から耳鼻科に通っていまして、そこで処方されている「抗生物質」が基準にひっかかってしまったのでした。

現場のスタッフさんたちは、せっかく来ていただいたのに申し訳ありません💦と平謝りな感じでしたが、いやいや、不勉強でやってきたこっちが申し訳ない💦

献血って、つまりは「本人が健康体でないとできないこと」なんですよね。

「よーし、ごはんしっかり食べて、しっかり歩いて健康体を作って、良い血をたっぷり作ってまた来るぞ!!」と、心の中で固く誓いながら会場をあとにしましたとさ。

うーん、我ながらしまらない!!

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