緑道を抜け、住宅街が開けたその先に、それは突如として姿を現します。
青空を背景に、まるで中世のヨーロッパの城か、どこか異世界の建物のようにそびえ立つ、灰色のコンクリートの塊。

これが、国指定重要文化財でもある「旧志免鉱業所竪坑櫓(たてこうやぐら)」。
初めて見た時の率直な感想は「え?なにあれ??」でした。今まで見たことのあるどの建造物にも似ていない、不思議な威容を誇る灰色のタワー。近くの公園から見上げるその圧倒的な存在感に、思わず背筋が伸びるような思いです。
■ 福岡タワー2本分。地底 430m の世界と繋がっていた要塞
高さ 47.65m。
昭和18年(1943年)に完成したこの巨大な建物は、当時の日本のエネルギーを支えるため、旧海軍によって建設されました。
この四角いタワーの役割を一言でいえば、「地底へと続く、超巨大なエレベーターの巻上塔」です。
実は、同型の竪坑櫓(塔櫓巻型-ワインディングタワー形式-で近代に建設されたものは、世界中を探してもベルギー、中国、そしてこの志免に遺るものを含めて、わずか3基しか現存していません。そんな世界的な至宝が、私たちの日常のすぐ隣に佇んでいるのです。
この真下には、なんと地底 430m まで垂直に伸びる巨大な穴(竪坑)が掘られていました。430m といえば、東京スカイツリー(634m)の約 2/3 に相当し、福岡タワー(234m)ならほぼ 2 本分がすっぽり入ってしまうほどの深さです。
実は、志免炭鉱で採掘されていた石炭は、家庭の暖房用などの一般的なものとはわけが違いました。ここで採れるのは極めて純度が高く、高カロリーな「良質な石炭」。それは、荒波を駆ける海軍の艦船を動かすための、貴重なエネルギー源としてもっぱら利用されていたのです。飯塚などの炭鉱が財閥・民間資本だったのに対し、ここが「海軍直轄」だったのは、この特別な石炭を国が直接確保したかったからに他なりません。

『きかんしゃトーマス』のヘンリーは、高品質な「ウェールズの石炭」でないとうまく走れませんでした(第357話 ヘンリーのとくべつなせきたん で見れるよ!!)が、当時の海軍にとって志免の石炭は、まさにその存在だったのでしょう。まったくエビデンスはありませんが、当時の町の人や働く人たち、もし私が当時の少年だったら「俺たちの町の石炭は世界一なんだぞ」と、胸を張って誇らしく思っていたのではないかと想像せずにはいられません。
■ 「次の時代」へ繋ぐための、丁寧な手仕事
これほど頑丈そうに見えるコンクリートの城も、長く雨風に晒されれば、少しずつ傷みが出てきます。
志免町の公式記録や文化庁の保存修理に関する公式な記録を拝見すると、そこには「ありのまま未来へ残す」ための前例のない工夫が綴られていました。
築80年を超えるコンクリートの内部では、経年劣化によって中の鉄筋が傷み、表面が剥がれ落ちてしまうほど深刻なダメージが進んでいました。しかし、頑丈にしようと傷んだ箇所を削りすぎてしまえば、今度は建物そのものが崩壊してしまう危険性もあります。
専門家たちは、当時のコンクリートをいかに多く残すかという難題に対し、独自の基準を作り、数ミリ単位の職人技で補修を施しました。実は、これほど大規模なコンクリート補修は日本初の先駆的な試み。この竪坑櫓は、日本中の古い建造物を守るための「最初のお手本」としての役割も担っています。

さらに面白いことに、修理の過程で、建物の梁(はり)のコンクリートの継ぎ目が、まるで木造建築のようになめらかな「Z字型」に折れ曲がっているのが見つかったそうです。 コンクリートを運ぶミキサー車や大きなポンプがなかった時代、当時の職人さんたちが「ここが構造の弱点にならないように」と、頭を絞って工夫した手仕事の痕跡でした。修理チームは、こうした先人たちの試行錯誤の跡もまた「歴史的な価値」として、あえて綺麗に隠すことはせず、そのままの形で今に遺す選択をしたといいます。
新しく塗り直した部分も、当時の無骨な風合いや見た目の優しさを壊さないよう、周りの色や質感に合わせた材料を使い、わずか数ミリという薄さでなじませています。その代わりに、最新の防錆技術を組み合わせることで、「これから先の50年・100年」へと耐えうる強さを生み出したのです。
こうしたことはSLの修復でも目にしたことがあります。現代の技術陣の目からすれば一見意味をなさないように見える穴。それが実は重要な役割をになっていたとか。そのあたりはまたいつか書き記したいと思います。
■ 行政書士として、この「誠実さ」を未来へ繋ぐ
この物語を知ったとき、私はこれから歩み出そうとしている「行政書士」という仕事のあり方について考えさせられました。
例えば「会社の設立」は新しい挑戦の第一歩。「遺言」は大切な家族の幸せを願い、想いを託す温かなバトンです。私たちの仕事は単に書類を整えることではなく、お客様の「何十年と続く未来」が揺るぎない安心の上に築かれるよう、その土台をお守りすること。
目に見えない部分に綻びを残したまま表面だけを取り繕えば、いつか大切な未来に影を落としてしまいます。
「一つひとつの手続きを、正確になすこと。それは、これから先も長く続く『未来の安心』を形にすること」
何十年先まで「あの時にちゃんと準備しておいて良かった」と安心していただけるように。前例のない課題にも知恵を絞り、見えない細部まで徹底的に誠実に、丁寧に向き合っていく。
あの無骨ながらも優しい表情を見せる竪坑櫓のコンクリートの肌には、そんな「本物の仕事」が積み重ねてきた安心感が宿っているように感じます。散歩を終え、事務所への帰り道。私はこの歴史深い街で、地域の皆さんの「未来」に寄り添えるよう一歩ずつ丁寧に歩んでいこうと、改めて静かに心に誓いました。

……なんて、そびえ立つ櫓の圧倒的な迫力に少し感傷的になりすぎたかもしれません。
さて、事務所に戻って、まずは目の前の書類の「土台」を丁寧に整える作業から始めるとしましょうか。
それにしても、この町のシンボルについて、地元の皆さんは親しみを込めて「志免タワー」などと呼んでもよさそうなものですが、不思議と誰もが「タテコウヤグラ」と呼びます。その無骨な響きをそのまま使い続けるところに、単なる観光資源ではない、かつてこの地を支えた産業への深い敬意と特別な想いが息づいているように感じます。
今回訪れた竪坑櫓の公式リーフレットはこちら
(志免町散歩編 完)

