かつて志免町の「中の坪公園」には、巨大な蒸気機関車が鎮座していました。
志免町の中心部に位置し、周辺には交番や町民体育館などの公共施設が集まるこの場所は、今も志免町の暮らしの真ん中にあります。冬期になれば、公園のシンボルツリーであるメタセコイアの木が美しくライトアップされ、幻想的な光に包まれた風景を楽しみに、多くの人々が訪れます。
長年、公園の風景の一部として置かれていたその姿ですが、実はこのSLには、意外な「出自」の物語があります。

今回は、志免町から姿を消したSL「29612号機」が辿った、再生と絆の物語を綴ります。
「勝田線を走っていたわけではない」という事実
中の坪公園のシンボルだったこの29612号機。実は、かつての勝田線や香椎線を現役で走っていた車両ではありません。
大正時代に製造されたこの「キューロク(9600形)」は、主に長崎本線や唐津線などで重い貨物を運んでいた車両です。1974年に現役を引退した後、志免町に保存されていました。
志免ゆかりの車両ではないこのSLが、なぜこの場所に置かれ続けたのか。それは、かつて炭鉱の町として栄えた志免にとって、SLという存在が「石炭輸送に沸いたかつての町の記憶」を象徴する、最も分かりやすいモニュメントだったからだと言えるでしょう。
岐路に立たされた、巨大な展示物
製造から94年目を迎えた2013年(平成25年)12月。公園の再整備計画に伴い、志免町はこのSLの「解体処分」を公表しました。
当初、町は修復して展示を継続する方向で検討していましたが、車体の腐食が著しく、安全に展示し続けるための修繕費用は数千万円にのぼると試算されました。最終的に町議会でその予算案が否決されたことで、行政として「やむなく解体」という、非常に厳しい決断を下さざるを得ない状況に追い込まれたのです。
志免から玖珠へ:100年分の歴史のバトンタッチ
ところが、ここで事態は急展開を迎えます。保存を願う人々の想いや、「貴重な鉄道文化遺産を壊していいのか」という議論が巻き起こり、その声が隣県の大分県玖珠(くす)町へと届いたのです。
玖珠町には、旧国鉄久大本線の「豊後森機関庫」という素晴らしい遺構(扇形機関庫)がありましたが、そこに展示する主役の車両が不在でした。 「解体してしまうのなら、ぜひ我が町で大切に引き継ぎたい」 こうして、67トンの車体に100年分の歴史を乗せた、自治体から自治体へと託す、無償譲渡プロジェクトが動き出したのです。
今も大分で愛される「志免からの贈り物」
2015年(平成27年)、SLは処分を免れ、輸送のために丁寧にパーツへと分解された後、大型トレーラーに積み込まれて志免町を出発しました。深夜の国道を、新天地の大分へと進むその姿は、まさに一つの時代がバトンを渡しに行くような、厳かで力強い光景でした。現在、このSLは大分県玖珠町の「豊後森機関庫ミュージアム」の広場に設置され、見違えるほど美しく磨き上げられて多くの観光客に愛されています。

志免町が「手放す」という現実的な判断をし、玖珠町が「受け継ぐ」という覚悟を決めた。この自治体間の連携があったからこそ、私たちは今もその雄姿を拝むことができるのです。
形を変えて残る「歴史のバトン」
現在、SLが去った後の中の坪公園は、子どもたちが安全に遊べる新しい空間へと生まれ変わっています。
かつて黒い巨体が鎮座していた場所には、いま、町を照らす温かい光が灯っている。
一人の町民として実物が去った寂しさはありました。しかし、今回の経緯を知るにつれ、限られた予算や老朽化という厳しい現実の中で、知恵を絞り、自治体間で「バトン」を繋いだ関係者の皆さんの粘り強い交渉と熱意に、深い敬意を抱かざるを得ません。
これから行政書士という仕事に携わろうとしている私にとって、このSLの物語は大きな指針のように感じられます。
単に書類を整えるだけでなく、行き止まりに見える状況でも、知恵と手続きを尽くして新しい「道」を探し出す。そんな、地域の想いや大切なものを未来へ繋ぐお手伝いができる存在になれたら。
実物がなくなった公園の風景を見つめながら、そんな「未来の自分」への宿題をもらったような気がしています。この「バトン」が次の世代へと良い形で繋がっていくことを願って、今回の散歩を締めくくりたいと思います。

