クリストファー・ノーラン監督の映画『オデュッセイア』を鑑賞してきました!!
ネタばれってほどのネタバレはないはずですが、まったくの前情報なしで観たい!!という方はご注意を(笑)

ノーラン監督といえば、CGに頼りすぎず実物や実写的な撮影を重視することで知られていますが、今回もそのこだわりは健在。
『オデュッセイア』は、劇場公開作品として初めて全編をIMAXフィルムカメラで撮影した作品となりました。
従来のIMAXフィルムカメラは、フィルムを高速で送る際の駆動音が大きく、会話シーンなどで同時録音することが難しいという問題があったそうで。そこで今回、ノーラン監督と撮影チーム、そしてIMAXが新しいカメラと動作音を抑えるサウンド・ブリンプを開発。その結果、全編IMAXフィルム撮影という前代未聞の試みが実現したそうです。
実際にスクリーンで観てみると、「これ、どうやって撮影したんだ?」と思わず息をのむような迫力ある映像の連続。大きなスクリーンで体感するスケール感は、まさに圧巻の一言でした。
「また彼を救出するのか」という豪華キャストの面白さ
役者陣の演技も実に見応えがありました。
主演のマット・デイモンは、『インターステラー』では宇宙で、『オデッセイ』では火星で、そして今回は故郷へ帰れずさまよう男。
「またマット・デイモンを無事に帰還させるために、ものすごいコストがかかっている……」
そんな映画ファンの定番ジョークが頭をよぎる、見事な配役です(笑)。
そして、アン・ハサウェイ演じるペネロペ。
『プラダを着た悪魔』などでおなじみの彼女が、今回は古代ギリシャの王妃を演じている。それだけでも、なんだか感慨深いものがあります。
そのペネロペのもとに押しかけ、オデュッセウスの留守中に屋敷で宴を続ける求婚者たち。彼らの図々しさと、ペネロペや息子テレマコスの苦悩との対比も非常に印象に残ります。
現代カルチャーに生き続ける『オデュッセイア』の遺伝子
さて、この『オデュッセイア』。原典は古代ギリシャの同名叙事詩ですが、物語そのものを詳しく知らなくても、私たちは意外なところでその影響を受けています。
- トロイの木馬:コンピューターセキュリティで使われる名称の由来
- セイレーン(サイレン):スターバックスのロゴに描かれている人魚のような存在
- ナウシカア:宮﨑駿監督『風の谷のナウシカ』の主人公の名前の由来
- オデッセイ:ホンダのミニバンの車名(あれ?特に映画オデュッセイアとのタイアップみたいな話きかないな)
2026年現在のヒット作にも息づく神話
さらに、近年の話題作にもその名前が登場しています。
たとえば、2026年7月に公開された『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』。大ヒットを記録している本作で描かれているのは、通称「セイレーン編」と呼ばれるエピソードです。
また、2026年公開の『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』の「キルケー」も、『オデュッセイア』に登場する魔女キルケーを思わせる名前です。モビルスーツにも「ペーネロペー」てのいますね。
古代ギリシャの物語は、現代の映画やアニメ、ゲーム、企業ブランドなどに姿を変えながら、今なお力強く生き続けていることが分かります。
フランスの絵本シリーズに登場する青いコアラ(熊に見えるかもですが実はコアラです!)の女の子『うっかりペネロペ Pénélope tête en l'air』のペネロペもだ(笑)
『オデュッセイア』にあふれる「約束」と「ルール」
映画を観ていて、法律を扱う行政書士という仕事柄、特に気になったのが物語の中に登場する「約束」や「ルール」です。
1. 「なぜ、この人たちは追い出されないんだ?」——クセニアの掟
留守中の屋敷に集まり、宴会を続けて家財を消費していく求婚者たちに対して、「いやいや、もう追い出していいでしょう……」と思ってしまいますよね。
ここで重要になるのが、古代ギリシャのクセニア(xenia)と呼ばれる「客人と主人との間の仕様・もてなし」の文化。「見知らぬ客人は神(ゼウス)が姿を変えているかもしれないから、無条件で手厚くもてなさねばならない」という掟です。
求婚者たちはこのルールを悪用し、「俺たちは客人だ」という盾を使って居座り続けました。いわば「法(神の掟)の抜け穴を使った悪質な不法占拠」です。
古代ギリシャでは、旅人や見知らぬ人を迎え入れ、宿や食事を提供することが重要な社会的・宗教的規範とされていました。作中でも「旅人をどのように迎えるか」が大きなテーマになっています。
現代の感覚で言えば「不法占拠」と表現したくなる状況ですが、興味深いのは「人の家に客として迎え入れられた以上、客人として守るべき振る舞いがある」という規範が、2800年前の物語で描かれている点です。求婚者たちがこの「客人としてのあり方」から大きく逸脱していることが、物語後半の展開に重要な意味を持っています。
2. トロイア戦争の裏にあった「あらかじめ交わされた約束」
もう一つ興味深いのが、トロイア戦争とオデュッセウスの関係です。
伝承によれば、オデュッセウスはかつて、絶世の美女ヘレネーの求婚者たちに「誰が夫に選ばれてもその結婚を守り、夫に不当なことがあれば全員で協力する」という誓いを立てさせたと言われています。
伝承では、オデュッセウス自身は出陣したくなかったため狂気を装って徴兵を逃れようとしたものの、企みが見破られて結局は遠征に加わることになりました。
現代の視点で読むならば、「過去にあらかじめ交わした約束(合意)を、後になって果たすことを求められた物語」という側面も見えてきます。
神話と歴史のあいだ——史実としての「トロイア」
『オデュッセイア』を語るうえで避けて通れないのが「トロイアは実在したのか?」という問いです。
物語の舞台であるトロイア戦争は、今からおよそ3200年前(紀元前1200年頃の青銅器時代末期)の出来事とされています。
19世紀にハインリヒ・シュリーマンが現在のトルコ北西部を発掘して以来、古代都市トロイが存在したこと自体は現在広く認められています。
一方で、「ホメロスが描いたトロイア戦争そのものが史実か?」となると話は別です。考古学的には青銅器時代末期の層に破壊や火災の跡が確認されていますが、それが即座に詩で描かれた戦争の証明になるわけではありません。
シュリーマン自身の回想によれば、少年時代に読んだ世界史の本に描かれたトロイアの物語に強く心を動かされ、それをきっかけに、いつかトロイアを自分の手で見つけたいという思いを抱くようになったといいます。
そして、その少年時代の情熱を大人になっても持ち続け、実業家として財を築いた後、実際にトロイアの発掘に乗り出しました。
子どものころに読んだ一冊の本から生まれた情熱が、何十年もの時を経て、本当に遺跡を掘るところまでつながっていった。
そう考えると、なんともロマンのある話です。
歴史と神話が重なり合うこの境目もまた、本作をめぐる大きな魅力です。
文字が変わっても、物語は残った
さらに興味深いのが、「文字」と「口承」の歴史です。
トロイア戦争の舞台とされる紀元前13〜12世紀頃(ミケーネ文明)では「線文字B」が使われていましたが、紀元前1200年頃を境にその記録は途絶えます。
現在では「完全に文字が消滅した」というよりは「腐りやすい素材に書かれていた可能性」も指摘されていますが、いずれにせよ現存する文字資料が非常に少ない時代が数世紀続きました。その後、紀元前8世紀頃になってフェニキア文字をもとにした「ギリシャ文字」が登場します。
文字での保存が難しかった時代、人々は物語を「語り」「歌う」ことで次の世代へ継承していきました。長い口承の伝統があったからこそ、ギリシャ文字が誕生した時代にホメロスの叙事詩として記録され、後世へ残ることができたのです。
ローマ人もパピルスで読んでいた。時間の旅
そして、ここで特に面白いと思ったのは、この物語が辿ってきた「時間の旅」です。
トロイア戦争の舞台とされる青銅器時代から、およそ900年。
紀元前4世紀、ペルシア遠征へ向かったアレクサンドロス大王も、ホメロスの大ファンでした。
古代の歴史家プルタルコスによれば、アレクサンドロスはアリストテレスから与えられた『イリアス』を大切に携え、遠征中も短剣とともに枕元に置いていたといいます。
そして東方遠征の途中には、トロイアの地にも立ち寄り、英雄アキレウスの墓に花冠を捧げたと伝えられています。
さらに時代が下ると、古代ローマの人々も『オデュッセイア』を読んでいました。
そして最近、2026年には、オランダのユトレヒト大学図書館で、3~4世紀ごろのものとされる『オデュッセイア』の羊皮紙断片が発見されました。
そこに書かれていたのは第12歌の一節。あの魔女キルケーも登場する場面です。
3200年ほど前の青銅器時代の出来事が、長い口承の伝統を経て、2800年ほど前には叙事詩として形になり、2300年ほど前のアレクサンドロス大王を熱中させ、2000年近く前のローマの人々にも読まれ、そして現代の私たちが巨大なスクリーンで観ている。
なんだか、とんでもない「時間の旅」です。
一人の英雄の帰還を描いた物語が、これほど長い時間をかけて、人から人へ、時代から時代へと受け渡されてきた。
そう考えると、『オデュッセイア』という作品そのものが、まるで一つの長い旅をしてきたように思えてきます。
時代が変わっても残る「約束」と「言葉」の力
映画館の巨大なIMAXスクリーンで観ているこの物語は、まだ本すら存在しなかった時代に、人々が声と記憶を頼りに受け渡してきた「言葉の旅」の到達点なのだと感じます。
人間は昔から、言葉によって人と人との関係を作ってきました。
- 約束を交わす
- 相手をもてなす
- 守るべきルールを共有する
- その意思を次の世代へ伝えていく
私たち行政書士が日々扱っている契約書や合意書、遺言書なども、考えてみればその延長線上にある営みです。
「人の意思や約束を、後から確認できる確実な形に残す」
記録媒体は粘土板やパピルスから羊皮紙、やがて紙へ、そしてデジタルデータへと変わりました。映画も「語り」から文字、舞台、映像、そしてIMAXへと進化しました。
それでも、人が言葉で意思を伝え、大切な約束をあとに残そうとする本質は、古代から少しも変わっていません。
古代ギリシャの英雄が故郷を目指す壮大な冒険——それは同時に、2800年という長い時間を越えて今なお届く「言葉の旅」そのものだったのかもしれません。
追記:映画の「その先」に待っている衝撃の結末
ちなみに……。
映画の余韻に浸ったあと、原典の『オデュッセイア』を最後まで読んでみると、きっと、
「なんじゃそりゃー!!」
と叫びたくなる方もいるのではないでしょうか(笑)。
ネタバレにならない程度に書きますが、求婚者たちを退治したからといって、物語はそこで終わりません。
殺された求婚者たちの親族が、「殺された息子たちの仇だ!」とオデュッセウスたちのもとへ押し寄せ、今度は武力衝突に発展します。
そして、最後には女神アテナが現れ、争いを止めるよう双方に促し、和解へと導きます。
……えっ、そこで神様が出てきて終わるの?(笑)
まあなんといっても「一見、魔法のような時代」ですからね。
現代の映画の感覚で見ると、なかなか大胆な終わり方です。
でも、これもまた『オデュッセイア』という物語の面白さなのかもしれません。
2800年近く前の人々が、どのように物語を「終わらせた」のか。
現代のストーリーテリングとはずいぶん違うところもあり、原典を読むと、映画とはまた違った驚きがあります。
映画で『オデュッセイア』に興味を持たれた方は、ぜひ原典の『オデュッセイア』も手に取ってみてください。
岩波文庫などで上下巻として読むことができます。
映画とはまた違った「オデュッセウスの旅」に出会えると思います。


